
2000 - 2001 いざ21世紀へ / 長いオフを経て、再びバンドが歩き出す

2000年、バンドは60にも及ぶ膨大な曲と共にJonの自宅内にあるスタジオSanctuary
IIに入ると、2月からはレコーディングの様子をネットを通じて配信するBJTVを開始。2月10日には、バンド初の生ウェブキャストライヴも
行われましたが、60万ヒットを超えるアクセスにサーバーがダウンする事態も。そして、3月にレコーディングを終了させ、Jonの映画撮影終了を待っ
て、プロモーションツアーに乗り出します。
CRUSHと名づけられた、まさ
にファンが待ち望んでいた久々のBON
JOVIの新作は、日本では世界に先駆けて5月に発売されてオリコン2位を獲得。6月にアメリカで発売されると、初登場9位に食い込み、ダブルプラチナム
を獲得するまでに至っています(翌年のグラミー賞にも「Best Rock Album」としてCRUSHが、「Best Rock
Performance by Duo/Group」としてIt's My
Lifeがノミネート)。そして、6月にヨーロッパをプロモーションで訪れた後、7月には再び日本に戻ってきてCRUSHツアーをスタートさせま
す。

2001年は、1月からJonが主演映画「Vampires Los
Muetos」の撮影を開始。バンドはその後オーストラリアを回ると、3月にまたまた来日しライヴを行っています。4月にヨーロッパを訪問し、6月にはロ
ンドンのウェンブリースタジアムで2日間公演(ソールドアウト)を行い、7月には実にNEW
JERSEYツアー以降となる地元ジャイアンツスタジアム公演2日間(会場は7万人収容、こちらもソールドアウト)を成功させて、ツアーを終了。ジャイア
ンツス
タジアム公演は、VH-1で録画放送されたり、BON
JOVIオリジナルメンバーとしてベースを務めていたAlecが久しぶりに登場したりと、まさにスペシャルなショウとなりました。また、5月には初のライ
ヴアルバム
ONE WILD NIGHT 1985 - 2001をリリースしています。

ツアー終了後は短いオフを経て、JonとRichieは早くも曲作りを始めます。その矢先、9月11日、同時多発テ
ロが発生。バンドはいち早くチャリティ活動を始め、発生から間もなく行われたチャリティ番組「A TRIBUTE TO
HEROES」(他にMariah Carey、Sting、Billy Joel、Bruce
Springsteenなどが参加)にJonとRichieが生出演し、アコースティックギターでLivin' On A
Prayerを演奏したり、Paul McCartneyが呼びかけて開かれたチャリティショウにバンドとして出演しIt's My
Lifeを披露したり、積極的に様々な活動を行いました。同時多発テロの影響は当然のことながらバンドにとって非常に大きいもので、この事件を受け
て、次回作は人々
に希望を与える「オプティミスティック」なものへと自然にシフトしていくのでした。
また、この年、Jonは俳優として「アリー・myラブ」に初の連続ドラマのレギュラー出演を果たしています。
2002 - 2004 ついにセールス1億枚達成

Jonは年をまたいで、2002年も「アリー〜」の撮影を続けます(この間JonはLAに滞在)。そしてLAでデモテープ作成を始めます。2月
にはソルトレークシティ冬季オリンピックの閉会式に出演すると、3月にはJonの自宅でレコーディング作業に移ります。6月は地元ジャイアンツ・スタジ
アムのイベント「Zootopia」に出演。そして、いよいよニューアルバムのレコーディングも終了。タイトルは
BOUNCEに決定。気になる発売日は、
日本では全世界に先駆けて、ちょうどあの9.11から1年の9月11日に設定されました。
9月5日、バンドはNYはタイムズスクエアにて行われたNFL開幕イベント「NFL Kickoff Live
From Times Square」で、述べ50万人の観客の前でパフォーマンス。Livin' On A Prayer、It's My
Lifeなどのお馴染みのナンバーから、Everyday、Undividedなどの新曲も交え、最後はAmerica The
Beautifulで締めくくるというスペシャルなショウになりました。その後、New York Giants対San Francisco
49ers戦の開幕戦のハーフタイムショウにも現れ、It's My Lifeを披露しています。
アメリカでのプロモーション活動の後は日本、ロンドンを目まぐるしく回ります。日本では9月11日のBOUNCE発売日にZEPP
TOKYOにて小規模なクラブギグを決行。18日のロンドンでも同様のギグを行っています。きっかけは、以前日本で見た赤坂BRITZでのCHEAP
TRICKのショウを見たJonの発言だったとか。
BOUNCEは10月にアメリカでリリースされると、全米初登場2位を記録。アルバムに伴うツアーも、翌年日本からスタートすることに決まりました。

2003年1月、バンドはBOUNCEツアーのために来日。札幌ドームを皮切りに、大阪ドーム、福岡ドーム、東京ドーム、横浜アリーナを回り、洋楽バンド
として初めて100万人動員を達成。そして、追加公演の横浜アリーナはDVD収録が予定されたアコースティックショウとなりました。残念ながら、バンド
メンバーの体調不良等もあり、お蔵入りとなりましたが、オーケストラとも共演したこのショウ。実に4時間以上に及ぶ歴史的なショウとなりました。
日本を発ってからは、アメリカ・カナダでツアー、その後はヨーロッパを回ります。6月28日に行われたロンドン・ハイドパークでの公演は、92,000
人の観客を動員しています。そして、再びアメリカに戻ると、前回ツアーと同じく地元ジャイアンツ・スタジアムで2日間のショウ(ソールドアウト)を行い、
8月8日にBOUNCEツアーは幕を閉じました。
それから長いオフに入るかと思いきや、バンドはすぐに動き出します。バンドはツアー中に構想を練っていたアコースティックアルバムの作成に取り掛かりま
した。当初は横浜アリーナでの音源を使用するつもりでしたが、ツアー中に接触したPatrick
Leonard(マドンナなどのプロデューサー)のアレンジが斬新だったことを受け、アコースティックアルバムをレコーディングし、そのプロデューサーと
して彼を迎えることに決めていたのです。実際に作業に取り掛かると、方向性はどんどん変わり、その結果、BON
JOVIの名曲たちに全く新しいアレンジを施した異色のアルバムが出来上がりました。
THIS
LEFT FEELS
RIGHTとタイトルを付けられたアルバムは同年11月にリリースされました。NJのアトランティックシティのホテルにてDVD収録のためのショ
ウも行わ
れています。
そして、ついにバンドのアルバムトータルセールスは1億枚を突破することに!
翌2004年は、基本的にはバンドとしての活動はオフとなり、メンバーは各々のソロ活動にいそしみました。しかし、水面下では、アルバムセールス1億枚
を突破した記念のBOXセット作成が進められていました。過去のデモ曲を盛り込んだ5枚組みの大ボリュームBOXセットは日本で12月に発売されていま
す。